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ドジャース クローザー 斉藤、ウオルター・オマレーを敬う
ロサンゼルス・ドジャース クローザー斉藤は2006年十月十三日 ホーリークロス墓地にある ウオルター・オマレー と 前球団重役・ アイク生原の墓を表敬訪問した。
斉藤は2006年、日本・セントラル・リーグ横浜ベイスターズに十四シーズン在籍後、自由契約でドジャースに入団、2007年にはナショナル・リーグのオールスターに選ばれた。三十七歳の右腕は2006年には六勝二敗、24セーブ、防御率2.07を達成、2007年ドジャースでも マウンド上で輝かしいシーズンを終えた(二勝一敗、39セーブ、防御率1.40)。
彼の2007年(出版)自叙伝“自己再生“で、斉藤はオマレーの墓参りの体験をこう述べている。
”シーズンが終わり、僕は日本に帰国する前に、かってドジャースのオーナーだったウオルター・オマレー会長と、彼を補佐したアイク生原さんのお墓を訪ねた。アイクさんは早大を卒業後,亜細亜大学の監督を経て,ツテを頼ってアメリカに渡り、ドジャースのマイナー球団の職員として働き、最終的にはドジャースのオーナー補佐を勤めた大先輩である。 オマレー会長と、アイクさんのお墓は、隣同士だった。 お墓を一緒に訪ねてくれたのは、現在はドジャースの社長補佐であり、アジア担当取締役であるエイシー興梠(こうろぎ)さんだった。エイシーさんは、僕がアメリカでプレイしたいと熱望していたのを実現させてくれた恩人である。 僕はペットボトルに入れた水を持参して、二人のお墓をきれいに掃除した。汚れていた墓石はすぐにきれいになった。“今年はどうもありがとうございました”僕は手を合わせ、頭を垂れた。 大きな木の先には海が広がっていた。太平洋だ。 アイクさんはオマレー会長のお墓参りに来ると、”この海の先には日本があるんです“と話していたと、エイシーさんが教えてくれた。 僕は日本から海を渡り、アメリカで新しい自分を発見することができた。 それは自分だけの力ではなく、アイクさんをはじめとした先輩たちの、そして友人たちの力が なくては、決して見つけることはできなっかたものである。“
斉藤は花束を購入、両氏の墓に供え敬意を表した。