International Relations

大要

マーク・ランギル著

ビジネスマン、弁護士、野球重役、ファミリーマンであるウォルター・オマレーが残した数々の逸話がある。だが、オマレーの人生・..おいて、ドジャースタジアムの建設を心・..描いた革新的精神は、アメリカの「国民的娯楽」を南カリフォルニアから世界各地・..届ける別の大きなアイデア・..膨らんだ。スポーツ界がオマレーの世界であれば、野球は彼の真珠であった。

ドジャースは1800年・..ナショナル・リーグ・..加入し、オマレーがドジャースの社長となるまでの60年間・.. も国際親善は行われた。キューバの大リーグのスター投手のアドルフォ・ルークは、1930年度と1931年度のシーズン・..ブルックリンと共・..短期来日した。ドジャースはモントリオールでトリプルA球団を運営しており、現在のフロリダ州ベロビーチのドジャータウン・..落ち着く前・..、(1947 年・..)キューバで、(1948年・..)ドミニカ共和国で春季キャンプを行った。

オマレーが経営者・..なった時、ドジャースは好成績と印象的な人材・..より既・..人気球団であり、大リーグで最も安定した革新的な球団として世界中で知られるよう・..なる。

その後20年間・..、ドジャースはレギュラーシーズンの球場であるブルックリンのエベッツ・フィールド、その後はロサンゼルスのドジャー・スタジアム・..、外国高官を招いた。

1956年と1966年のペナント優勝後の日本親善ツアー・..より、1961年、1967年、1971年、1975年の読売ジャイアンツがドジャータウンの春季トレーニング・..参加した。

ドジャース社長就任1年目の1951年・..、オマレーはベネズエラ・リーグのセルベセリア・カラカスの代表者と400人の見習い選手を、4月19日・.. ニューヨークで行われたサイモン・ボリバー・デイの祝宴・..ドジャースのゲストとして招待した。その後、オマレーは多くの外国からの訪問客をエベッツ・フィールド・..招待すること・..・..なる。75人のイスラエルの水兵達が1951年6月・..エベッツ・フィールドを訪れた時、オマレーは野球機材一式を贈った。

1952 年まで・..、オマレーはアメリカン・リーグのクリーブランド・インディアンズとの世界遠征を提案した。コミッショナーのフォード C.・フリックは、フィラデルフィアで行われるオールスターゲームの前夜・..、本提案・..関する大リーグのオーナー達の承認を得ており、国務省は同計画・..対して熱心であることを公表した。

予算合計・..は、航空料金24万ドル、22試合を含む60日間の遠征費50万ドルであり、これ・..は合計3万5千マイルの飛行距離のハワイ、日本、インド、エジプト、オーストラリア、北アフリカへの訪問も含まれる。「この遠征が利益の高いものとなることを望んでいます。参加国と野球・..とって良いことでなければ実施していません。」Long Island Press, July 8, 1952

遠征は実現しなかったが、同計画は他国で野球を推進する為のその他の方法を間がる論議を生んだ。ドジャースが1955年のワールドシリーズでライバルのニューヨーク・ヤンキースを相手・..スリル・..満ちた7試合を戦って勝利を勝ち得た時まで・..、オマレーの郵便受け・..は多国からの郵便物が届いた。

1955年12月2日、オマレーはイラクのバグダードの宮殿のファイサルII世王・..以下の手紙を出した。

「陛下、わが球団のワールドシリーズでの優勝・..対する祝電をお送り頂き感謝の意を表します。ブルックリンとエベッツ・フィールドへお越し頂いたことを嬉しく思い出します。ワールドシリーズの王座を初めて手・..入れて一番素晴らしかったことの一つは、26カ国から手紙を頂いたことで分かるよう・..、我々が世界中の沢山の友人達・..喜びを与えたことを知ったことです。この次我が国を訪問頂く際は、再びエベッツ・フィールド・..を足を運んで頂けるよう望んでおります。敬具、ウォルター・オマレー」

鈴木惣太郎は日本のスポーツ記者で、日本プロ野球の父である正力松太郎出版の読売新聞と深く関わっており、1956年の日本親善ツアー・..関する事前交渉や話し合いをドジャース球団と交わしていた。鈴木はドジャータウンとエベッツ・フィールドを訪問した。1962年4 月・..ドジャー・スタジアムがオープンした際、鈴木はオマレーとロサンゼルスのドジャースの特別ゲストとして招待された。鈴木が記念・..注文した石燈篭は1966年・..日本からドジャー・スタジアム・..寄贈された。

1956年の日本遠征後、ドジャースは読売ジャイアンツの水原茂監督と堀内庄投手と藤尾シゲル捕手をべラビーチで行われるドジャースのトレーニング・..招待した。1961年、ドジャースはベロビーチのトレーニング・..読売ジャイアンツ全員を招待した。

鈴木は1957年のベロビーチ遠征での通訳を努め、その後、ジャイアンツのアメリカのトレーニングキャンプ・..対する反応・..関するエッセイを書いた。一人の選手は、どの大リーグの球団もドジャースのような春季トレーニングを行っているのかと尋ねた。

「私は笑いながらドジャータウンは例外だと説明しました。ドジャースだけが関連マイナーリーグ 11チームと一緒・..出来るユニークなトレーニングを行っています。それ・..は読売ジャイアンツのトレーニングも含まれています。そのトレーニング方法は他の球団の方法とは大変異なり、もっと経費のかかるものです。しかし、このトレーニングはクレイグ、ドリスデール、クーファックス、ポドレス、ウィリアムスの投手陣、捕手のカミリ、内野手のギリアム、ホッジス、ラーカー、二ール、ウィルス、外野手のスナイダー、デミーター、デイビス、ホワードの開発・..大変成果が高く、」鈴木はエッセイで述べた。って答えました。

「更・..、若いルーキー・..説明したことは、ロサンゼルス・ドジャースの素晴らしい機構と社長であるウォルター F.・オマレーの心遣い・..より、東京ジャイアンツは野球界で最も優れたトレーニング・キャンプ・..参加し、ナショナル・リーグの最多勝チームの方法を実践で学ぶ素晴らしい機会が与えられたのです。」

1962 年、日本野球のコーチである別当薫は全シーズンを通してドジャースと行動を共・..し、アメリカ流トレーニング及び野球方式を学んだ。ドジャースは、同球団の見学を望んでいたオランダの優秀なアマチュア選手のボーデウィン・マートを1962年度の春季トレーニング・..招待した。ドジャー・マイナーリーグのピート・ライサーは1963年・..日本を訪問し、東京(東映)フライヤーズをコーチした。

ドジャースのスカウト部長のアル・キャンパニスは1964年・..大洋ホエールズの春季トレーニング・..3週間参加した。同氏は日本の野球選手達を自著のベストセラー、「ドジャー式野球法」・..沿ってコーチした。

1965年、ドジャースはケニー・マイヤースとトム・ラソーダのスカウト責任者二人を日本・..送り、読売ジャイアンツの春季トレーニング・..2週間参加してコーチをした。

メキシコシティー・タイガースが主力選手のリカルド・ガーザを監督の養成を望み、1965年春・..ベロビーチ・..送り、ドジャース式トレーニング及び監督方法を学んだ。

1960 年代のドジャータウンへのその他の海外訪問者・..は、メキシコ・リーグの重役兼元クリーブランド・インディアンズの内野手ボビー・アビラもいた。キューバ冬季リーグのボビー・マデュロもアレメンダレス・クラブの代表者と共・..ドジャータウンを頻・..・..訪れた。

1966 年1月、オマレーは大リーグがある日カナダ・..広がることを予測した。ドジャースはマイナーリーグ球団を1960年までモントリオール運営していた。「いつか誰かが球団をトロンとかモントリオール・..設立すると思います。カナダ市場は大変開放的です。国際政治が安定すれば、球団が中米・..も球団が設立されるでしょう。また、交通発展・..より、日本・..も設立するかも知れません。既・..アメリカから東京までの飛行時間は、かつてドジャースがブルックリンからセントルイスまで列車で行くの・..かかった時間よりも短くなりました。」

「私が生きているうち・..は大リーグ野球がオーストラリアで行われることはないでしょうが、いつか実現するでしょう。野球への興味が高まっています。」New York Journal-American, January 20, 1966

オマレーは、1968年3月・..行われたロサンゼルス・タイムスのスポーツ記者のポール・ジマーマンとのインタビューで大リーグの拡張・..対するアイデアを説明した。1年以内・..大リーグ野球は地区別対戦方式・..変わり、リーグ毎の選手権が導入される。それ・..よってシーズン閉幕後・..決勝戦・..登場するチームが2チームから4チーム・..増える。ナショナルリーグでは、1969年・..サンディエゴ・パドレスとモントリオール・エクスポズが拡張される。

だが、1968年度の春季トレーニングの焦点は、ナショナルリーグがアメリカンリーグの様・..10チームから12チーム・..拡張するかどうか・..縛られた。候補市はダラス-フォートワース、サンディエゴ、バッファロー、モントリオール、ミルウォーキーだった。この話し合いは、ドジャースとジャイアンツのカリフォルニアへの歴史的移転の後・..行われた。1957年時点で、西海岸・..大リーグ球団は一つもなかった。

1969年のサンディエゴへの拡張・..より、カリフォルニア・..ドジャース、エンジェル巣、アスレチックス、ジャイアンツ、パドレスの5球団が揃うこと・..なった。

「大リーグ野球団を海岸都市・..設けて飛行機を使わない手はありません。」オマレーは述べた。

オマレーは日本では少なくとも二都市が大リーグ球団の設置を援助するであろうと推測した。球団設置・..は、スタジアム、選手の才能、経済背景、公共の熱狂度、報道陣からの援助が必要である。

「日本・..は才能のある選手が豊富・..揃っています。そこが今アメリカ野球・..欠けています。」

「モントリオールやトロンと・..大リーグ球団を設置出来ない理由はありません。」

1956年 日本 ツアー

マーク・ランギル著

1950年代初期・..、ブルックリン・ドジャースと日本プロ野球リーグは共・..、新しい時代を迎え た。

ウォルター・オマレーは1950年・..ナショナルリーグの最強球団の社長・..なると同時・..、彼の国際的な視野がその後20年間・..亘りドジャースのトレードマークとなり、ニューヨーク市民達は第二次世界大戦後プロ野球の人気が高まる・..つれて国内及び日本で起こった歴史的変貌を目撃した。

読売新聞社の創立者及び「日本プロ野球の父」でもある正力松太郎は、鈴木惣太郎をニューヨーク・..送り、オマレー・..会ってドジャースの日本遠征を依頼させた。正力の指示の下・..、鈴木は読売新聞勤務中・..日米親善ツアー実施・..尽力し、1956年・..読売新聞社はブルックリン・ドジャースを日本・..招待し、10月19日から11月16日・..かけて20試合のオープン戦を実施した。

鈴木は1934年・..ベーブ・ルースの日本遠征を可能・..した者として一番知られている。ベーブ・ルースの来日・..より日本プロ野球が創立した。伝説・..よると、鈴木はニューヨークの床屋でベーブ・ルースを捉まえ、日本で彼が如何・..人気者であるかを強調し、ルース以外の野球選手は写っていない日本遠征のポスターを見せたという。

鈴木は日本で教育を受け、ニューヨークのコロンビア大学・..も席を置いた後、1930年代初期・..読売新聞社・..入社し、その後日本のコミッショナーの事務所への連絡係を務めた。

ドジャースは読売新聞社が日本・..招待した5番目のアメリカ大リーグ球団である。日本・..招待された最初の大リーグ球団は1931年のオールスターチームである。2番目のチームは1934年のオールスターチームであり、その中・..は野球殿堂入りをしたルース、ルー・ゲーリック、ジミー・ファックス、レフティー・グローブがいた。

1950 年・..レフティー・オダウルがマイナーリーグのサンフランシスコ・シールズと共・..日本遠征をし、その結果、1953年・..エディー・ローパット・オールスターズとニューヨーク・ジャイアンツが来日し、1955年・..はニューヨーク・ヤンキースが来日した。

当時ブルックリン・ドジャースは人気絶頂だった。1955年・..ワールドシリーズ7試合目・..劇的な初優勝を果たし、10月・..はライバルだったニューヨーク・ヤンキースを負かした。1956年初旬・..、鈴木は、鳩山内閣の国務大臣及び読売新聞社のオーナー兼出版社であった正力の為・..オマレーと連絡を取り始めた。読売ジャイアンツの創始者である正力は、1956年2月9日・..オマレー・..宛てた手紙・..、オールスター・ツアーの招待の概要と、読売新聞社・..代わり交渉をする事・..対する承認と委任兼を鈴木・..与えることを記述した。

1956 年4月30日付の鈴木宛の手紙で、オマレーは同年度のワールドシリーズの勝者が日本を訪問することは適したことであると述べ、国連日本監視団の加瀬俊一大使や野球コミッショナー、フォード C.・フリックの援助を受けたことを喜ばしく思った。オマレーは8月の日本遠征を公表することを希望していた。

「この企画・..は個人的・..賛成であり、この遠征・..わが球団の選手達を招待して下さるという栄誉・..感謝します。この遠征・..関して私が一人一人の選手達と話し合う時間を与えて下さり、辛抱強く待って頂いたこと・..も感謝します。」と、その手紙でオマレーは述べた。

ドジャースは1956年・..ナショナルリーグのタイトルを守ったが、易しい事ではなかった。レギュラーシーズンの最終日・..ピッツバーグ・パイレーツ・..勝ち、93勝61敗の成績でミルウォーキー・ブレーブスを1勝差で破った。デューク・スナイダーは自己最高の43本のホームランを打ちリーグ第一位となり、投手のドン・ニューコーム(27勝7敗)は大リーグ史上初めて同一シーズンでサイヤング賞とMVP賞の両方を受賞した。

ドジャースとヤンキースは再びワールドシリーズを7試合・..持ち込んだが、今度の結果は異なるものとなった。ブルックリンは1955年・..は最初のロードゲーム2試合・..負けたが、ドジャースは1956年・..最初の2試合での勝利を、その後のヤンキースの3連勝・..より無駄・..した。5試合目は、ャンキー球場でドン・ラーセンが完全試合をした。ドジャースはクレム・ラビンの10イニング完封・..より6試合目で勝利を得たが、優勝決定の7試合目・..エベッツ・フィールドで9対0で負けた。

ハワイでツアー前のオープン戦をすることで、昨年9月・..シーズン閉幕したドジャースの選手達の体調を整える計画だったのかも知れないが、ブルックリンの選手達・..休息を与える為だったのかも知れない。

ワールドシリーズ・..敗れてから数時間後、ドジャースは10月11日・..ユナイテッド航空のドジャー特別便2709便(ダグラスDC-7)でニューヨークのアイドルワイルド空港を午後12時30分・..発った。選手達はロサンゼルス国際空港・..午後5時5分・..到着し、スタットラーホテル・..リムジンで向かった。選手達は10月12日・..出発し、ハワイ・..5日間滞在し、親善訪問、観光、マウイ・オールスターズ、ハワイアン・オールスターズ、ハワイリーグのチャンピオン、レッドソックスとのオープン戦を行った。

ドジャースの登録選手名簿・..は、ウォルター・アルストン監督を始め、コーチのビリー・ハーマン、ジェイク・ピトラー、ジョー・ベッカー、投手のカール・アースキン、ドン・ニューコーム、クレム・ラビン、ドン・ベセント、ロジャー・クレイグ、エド・ローバック、ドン・ドリスデール、ラルフ・ブランカ、フレッド・キップ、捕手のロイ・キャンパネラ、ハーブ・オルセン、ディクシー・「ホーマー」・ハウエル、内野手、ピーウィー・リース、ドン・ジマー、ジャッキー・ロビンソン、ランディー・ジャクソン、ギル・ホッジス、ジム・ジェンタイル、ボブ・リリス、ジム・ギリアム、ボブ・アスプロモンテ、外野手、デューク・スナイダー、バート・ハムリック、ドン・デミーター、ジーノ・チモリが名を連ねる。

日本遠征・..参加しなかった選手達は、サンディー・クーファックス投手、カール・フリオ外野 手、サンディー・アモロス外野手、ジョニー・ポドレス投手等である。ポドレスは10月26日・..背中の故障の為・..米海軍から解除されたばかりで、適切な調整期間が取れなかった。

ホノルルから東京行きのパンアメリカン航空の特別機は、機械のトラブル・..より、ウェイクアイランドで約6時間遅れた。ウェイクアイランド・..住んでいたアメリカ人は、飛行機の修理の為・..ドジャースが足止めされウェイクアイランド・..留まる事・..なった日を祭日・..すると宣言した。学校は休校・..なり、子供達は空港・..詰め掛け、ドジャースを小さな珊瑚環礁島・..歓迎した。「空港では子供達の暖かい歓迎を受けました。」キャンパネラは語る。Asahi Evening News, October 19, 1956

やっと日本・..到着したドジャースは、元々午前10時・..到着する予定であったが、午後3時25分・..到着し、羽田空港から帝国ホテルまで、雨の東京を車でパレードをしたドジャースを見・..駆けつけた何千人ものファンの暖かい歓迎を受けた。

大映映画スタジオから40人の女優達がドジャースの選手達・..花束を贈呈したが、その中・..は国際的・..有名な京マチコの姿もあった。「本当・..驚きました。」ニューコームは花束を受け取りながら述べた。

空港のロビーで行われた記者会見で、センターのデューク・スナイダーは、「僕達は皆とても疲れていますけど、日本・..来れて良かったです。」Yomiuri Japan News, October 19, 1956

ジャパン・タイムスの社説面で、ドジャースの到着が報道され、何故ブルックリンの野球団が日本の野球ファン・..これだけ愛されるのかの分析が掲載された。

「ブルックリンの登録選手の内多くのベテラン選手の名前は、既・..日本のファン・..はお馴染みですし、ドジャースは歓迎されていると信じて下さい。」

「フラットブッシュ・アベニューから来たチームの顕著な功績の一つは、野球チームの色の差別をなくすこと・..成功したことである。それはアメリカが人種差別問題の解決・..向かっていることを示すものである。

「我々はブルックリンの素晴らしいドジャースが繰り広げる最高レベルの野球を観戦出来ることを大変楽しみ・..しています。」The Japan Times

開幕後の3勝2敗1分の成績・..も関わらず、既・..称賛・..値することがある。日本の著名な野球評論家である中沢フジオはウォルター・アルストン監督のスポーツマン精神と日本のチームへの称賛も忘れない心遣いを称えていた。

「日本の野球選手達は、日本到着翌日より開始した忙しいスケジュール・..対する不平をこぼすこともないドジャースの選手達から学ぶ事が多くあります。ドジャースの選手達は常・..明るく一生懸命野球をします。負けても腐りません。」United Press International, Asaki News, October 27, 1956 中沢は述べた。

日本の風景や伝統文化を背景・..したドジャースの写真が、その後3週間・..亘り新聞や雑誌・..掲載された。読売ジャパンニュースはドジャースの選手達の舞台裏、宴会、クラブハウス、ダグアウトやスタンドでのファンと交わる写真を掲載した。

「本年度のナショナルリーグのペナンとレースの勝者であるエベッツ・フィールドのアイドル達は、東京、札幌、仙台で5試合行った後・..歴史の深い水戸市で関東オールスターズと対戦します。ドジャースのスコアは称賛・..値します。既・..2敗し、短期間で全勝するという希望は消え去りました。しかし、ドジャースのスター達をそれぞれ一人の人間として見てみると、選手達は殆ど全員が好感の持てる男達で、友好的で楽しく、スポーツマン精神・..満ちているようです。試合・..負けても、行く場所毎・..新しい友達を作り、地元の熱狂的な野球ファン・..良い印象を残しました。」ジャパンニュースは伝える。」Yomiuri Japan News, October 25, 1956

「ドジャース、野球場の中でも外でも活躍」という大きな見出しの記事が、米軍新聞、スターズ・アンド・ストライプス・..遠征中の多くの写真を掲載した。掲載された写真の中・..は、ハッピとヘッドバンド・..身を包んだ新人投手のドン・ドリスデールが、レセプションで口を開けて原田ツネオから食べ物をもらているところを、横でジャイアンツの堀内ショウが笑っている写真が掲載されている。ドジャース選手の妻達は、選手達とは別行動をし、着物を着て茶の湯・..出席した。ドン・ニューコームは後楽園球場のダグアウトの上でファン・..サインをし、ランディ・ジャクソン、ドリスデール、ロイ・キャンパネラは、第一試合の開始前・..帝国ホテルの前で人力車・..乗った。The Stars and Stripes, October 23, 1956

数え切れないほどのエピソードや予想外の出来事もあった。

— 野球殿堂入りの内野手ジャッキー・ロビンソンは、帝国ホテル・..入る際・..日本酒1瓶を落と し、最初のエラーをした。オマレーとは家族ぐるみの友人であるバッド・ホルマン監督は、後楽園球場でカメラを落とし、新しいカメラを買う羽目・..なった。The Japan Times, October 21, 1956

— ドジャースの選手達は、慣習としてファウルボールをフィールド・..投げ返す日本のファン・..驚かされた。The Japan Times, October 21, 1956

— ドジャースの選手達は、ホテルでユニフォーム・..着替えて出かけた。球場・..着く前・..、後ろを走るタクシーやトラックの運転手は車両を運転しながら選手達・..サインを求めた。Ibid.

— ドジャース団体の中で最も人気・..高かったお土産は、免税のカメラ、スーツ、真珠、日本人形だった。Ibid.

— 大阪では、友好的な女学生がカール・アースキンと夫人の為・..日本の教会での礼拝を通訳した。その後、アースキンは馬場家の10人の人々からの訪問を受けた。馬場家の人々は英語を話せなかったが、アースキンの故郷のインディアナ州アンダーソン市・..共通の友人がいることが分かった。Associated Press, November 15, 1956

日本交通公社は遠征参加者の家族の為のツアーの計画を立てた。東京での観光や買物、3日間の鎌倉・宮の島ツアー、歌舞伎劇場での観劇、宮島観光、広島・神戸、ほず川のシューティング・ボート遊覧、ミキモトの真珠島や熱海温泉への観光旅行などであった。

ドジャースの14勝4敗1分のオープン戦記録のハイライトは、

— 新人ジム・ジェンタイルが1塁を守り、ベテランのジル・ホッジスが外野・..移動し、パントマイムで観客を楽しませた。10月28日・..宇都宮でオール・ジャパン・スターズを相手・..6対3の勝利を遂げた時、ホッジスはホームプレートの後ろでロイ・キャンパネラの動きを真似て、サインを送ったり捕手のよう・..しゃがんだりした。The Stars and Stripes, October 29, 1956

— 恐らく、ツアーの中で最も記憶・..残る感動的な瞬間は、ドジャースが11月1日の広島での試合を野球ファンと原爆の犠牲者達の記憶と平和の為・..捧げた時である。広島の新しい野球城の入り口・..銅像刻版が飾られた。

「我々は今回の訪問を1945年8月6日・..原爆・..命を落とした方々・..捧げます。彼らの冥福を祈り、神の慈悲と人間の努力・..より、平和が永遠・..与えられますよう・..。アーメン」という言葉が刻まれた。刻版・..はオマレー、オルストン、リース、その他球団役員の名前も刻まれた。

— 11月4日、ナショナルリーグの審判であるジョッコ・コンロンが大阪でのオープン戦を実施し ようとする試みは、悪天候を理由・..覆された。4万人のファンは席・..座ったままで、時折、「やろう!」という声を上げていた。

ドジャースと日本の役員の間で20分間話し合いが行われた後、試合は再開した。日本の役員は、後・..、日本最大の野球場である甲子園球場は9月30日以降ナイター・..使用されたことはなく、電気料金は高額・..なると判断した。数分間の使用だけで1ヶ月分・..値する電気料金を支払わなければならない。

「あの時、日本の役員は、ファンは一晩試合再開を待ち続け、家・..は帰らないだろうから、試合を続行しないといけないと言うんです。」三塁のジャッキー・ロビンソンは述べた。Asahi Evening News, November 6, 1956

一試合平均2万4千人、合計45万人以上のファンがオープン戦19試合を観戦した。ドジャースは11月15日・..東京・..戻り、大都市での次から次へとパレードを行い、勤務中の社員達が訪問者と握手をしようと路上・..出て来た。

フレスコ・トンプソン副社長は、11月5日・..、ブルックリンは日本人の野球選手2名をドジャースの春季キャンプ・..参加してもらう為・..アメリカ・..招待するかも知れないと述べた。トンプソンは、ドジャースは日本・..野球選手を探し・..来たのではないというコメント・..沿って、また、ドジャースは日本人選手の入団を考えている訳ではないと述べた。

「しかし、我々は日本で受けた素晴らしい親善・..対するお返しする方法を考えています。日本の選手が日本の春季キャンプとは異なり、選手の体調を整えるためでなく、基礎的技術を磨くトレーニング・キャンプ・..参加すれば日本の野球の発展・..役立つかも知れません。」トンプソンは述べた。

ドジャースは読売ジャイアンツの水原茂監督と藤尾しげる捕手と堀内庄投手をフロリダ州ベロビーチのドジャータウンで行われる1957年のトレーニングキャンプ・..招待するよう鈴木への招待状を出した。読売ジャイアンツのグループは、110エーカーの施設・..設置されたトレーニング用の6球場とトレーニングとレクリエーションの多くの設備を見て驚いた。

「ベロビーチでの滞在は短期間でしたが、野球だけではなく、日本人・..対するアメリカ人の本当の感情等、大変多くの事を学びました。これは野球をやる上で一番素晴らしい事だと思います。野球を通して野球を愛するアメリカと日本の間の理解がより深まることでしょう。」鈴木は記した。

1956年 Summary

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National League Champions (93-61 record)
Lost to New York Yankees in World Series, 4 games to 3

Dodger President — Walter O’Malley

Manager — Walter Alston (24)
Coaches — Joe Becker (33), Billy Herman (22), Jake Pitler (31)

Players

Pitchers — Don Bessent (46), Ralph Branca (28), Roger Craig (40), Don Drysdale (53), Carl Erskine (17), Fred Kipp (26), Clem Labine (41), Don Newcombe (36), Ed Roebuck (37)

Catchers — Roy Campanella (39), Dixie Howell (54), Herb Olson (55)

Infielders — Bob Aspromonte (34), Jim Gentile (38), Gil Hodges (14), Randy Jackson (2), Bob Lillis (30), Pee Wee Reese (1), Jackie Robinson (42), Don Zimmer (23)

Outfielders — Gino Cimoli (9), Don Demeter (27), Jim Gilliam (19), Bert Hamric (51), Duke Snider (4).

Japan’s Central League (in order of final standings in 1956)

  • Yomiuri Giants, Tokyo*
  • Hanshin Tigers, Osaka
  • Chunichi Dragons, Nagoya
  • Kokutetsu Swallows, Tokyo
  • Hiroshima Carp, Hiroshima
  • Taiyo Whales, Tokyo

Japan’s Pacific League (in order of final standings in 1956)

  • Nishitetsu Lions, Fukuoka*
  • Nankai Hawks, Osaka
  • Hankyu Braves, Osaka
  • Mainichi Orions, Tokyo
  • Kintetsu Pearls, Osaka
  • Toei Flyers, Tokyo
  • Daiei Stars, Tokyo
  • Takahashi Unions, Kawasaki

*Lions won the Pacific League Championship and defeated the Giants, who won the Central League Championship, in the Japan Series, 4 games to 2.

PRELUDE: Early in 1956, the Dodgers were invited by Matsutaro Shoriki, the founder of the Yomiuri Shimbun and the “father of Japanese professional baseball,” to make a trip to Japan following the regular season. It was Walter O’Malley’s desire to accept the invitation and have the Dodgers make the goodwill tour to further international relations. He spent time to ensure the key Dodger players would make the trip before responding. The Dodgers were at the height of their popularity, having won their first World Series Championship in 1955. Shoriki dispatched renowned Yomiuri sportswriter Sotaro Suzuki to New York to meet with O’Malley and personally act as his representative to make all necessary arrangements for the Dodgers to make the goodwill tour, sponsored by the Yomiuri Shimbun. The plans for the trip were announced publicly by O’Malley on September 9. John M. Allison, U.S. Ambassador to Japan, issued a statement just before the Dodgers arrived in Japan. U.S. President Dwight D. Eisenhower authorized Allison to say that baseball has become “a regular and significant event in Japan’s relations with the United States.” Allison added, “This visit to Japan by one of America’s most notable baseball teams is an outstanding example of the many mutual interests shared by the people of Japan and the United States, the two nations which regard baseball as a national sport. It is but one of the many exchanges by which the two countries further their good relations and understanding.”Bob Bowie, Stars & Stripes, October 18, 1956 The Dodgers tuned up for the Japan games by playing three exhibition contests in Hawaii, one in Kahului, Maui and the final two in Honolulu. They defeated the Maui All-Stars, 6-0, the Hawaiian All-Stars, 19-0 and the semi-pro champion Honolulu Red Sox, 7-3 in 10 innings. The Dodgers then left Honolulu on October 16 en route to Tokyo. They had a five-hour layover, due to a tire problem with their chartered plane, on Wake Island. The Dodgers, however, made the best of it as Wake Island declared a holiday and schools were closed and children flocked to the airport and everyone turned out to greet the Dodgers to their tiny coral atoll.AP story in Asahi Evening News, October 19, 1956 Due to their delayed late-afternoon arrival in Japan, the Dodgers cut short a welcoming reception at Tokyo’s Haneda Airport before a crowd of 3,000, mostly school-aged children, as they had to prepare to play the Central League Champions at Korakuen Stadium the next afternoon. Despite drizzle, some 100,000 enthusiastic onlookers lined the streets to watch the 67-person Dodger delegation in a 26-car motorcade travel from the airport though downtown Tokyo to the Imperial Hotel. A game-by-game recap follows.

Giants Shock Bums; Snatch Opener, 5-4

Yomiuri 5, Dodgers 4

Dodgers 0 0 4 0 0 0 0 0 0 4 8 0
Yomiuri 2 1 0 0 0 0 0 2 x 5 8 1

WP — Takumi Otomo. LP — Don Bessent. HR: Jackie Robinson, Gil Hodges, Andy Miyamoto, Kazuhiko Sakazaki, Tetsuji Kawakami 2.

Dodger Record 0-1.

GAME NOTES: The National League Champion Dodgers lost the first game of their Goodwill Tour to Japan to the Yomiuri Giants. The ceremonial first pitch was thrown by Yomiuri Shimbun publisher Matsutaro Shoriki, State Minister and “The Father of Japanese Professional Baseball.” John M. Allison, U.S. Ambassador to Japan, was in attendance amongst the more than 20,000 fans at Korakuen on an overcast day. National League President Warren C. Giles, Dodger President Walter O’Malley and Sotaro Suzuki, renowned Japanese sportswriter and trip organizer for Yomiuri met in the morning at Shoriki’s residence. The Giants stunned the Dodgers by pounding four home runs, including two by Tetsuji Kawakami. Giants’ first baseman Kawakami was a five-time batting champion in his 18-year career. He was inducted into the Japan Baseball Hall of Fame in 1965. He also managed Yomiuri to 11 Japan Series victories in 13 seasons (1961-73) and nine consecutive titles from 1965-73. Dodger starter Don Drysdale and relief pitcher Don Bessent each surrendered two homers. Two ace Giants pitchers — starter Takumi Otomo and reliever Sho Horiuchi — struck out 16 Dodgers, who appeared weary from their transpacific trip. The Dodgers did all their scoring in the third inning with singles by Pee Wee Reese and Roy Campanella, a triple by Gino Cimoli and home runs by Jackie Robinson and Gil Hodges.

Campy's Bases-Full Homer Leads Dodgers To 7-1 Win

Dodgers 7, All-Central 1

Dodgers 4 0 2 0 0 1 0 0 0 7 9 1
All-Central 0 0 0 0 0 0 0 0 1 1 4 2

WP — Clem Labine. LP — Shoichi Kaneda. HR: Roy Campanella, 2.

Dodger Record 1-1.

GAME NOTES: The Dodgers jumped out of the gate in the first inning to score four runs and were never headed. Catcher Roy Campanella belted a grand slam which scored Pee Wee Reese, Duke Snider and Gil Hodges. Snider’s single was his first hit in Japan. In the third inning, Campy made it 6-0 with his second homer of the game, scoring Hodges who had walked. All-Central League scored in the last of the ninth on a RBI double by Andy Miyamoto of the Yomiuri Giants. Dodger starter Clem Labine went the distance for the victory, allowing four hits. Shoichi Kaneda of the Kokutetsu Swallows left the game after loading the bases in the first inning. Noboru Akiyama, of the Taiyo Whales, gave up Campanella’s grand slam and also his two-run homer. Southpaw Kaneda, the 1956 Central League Pitcher of the Year, had 20 or more wins for 14 consecutive seasons with the Swallows (1951-64). Known as the “greatest Japanese pitcher of all-time,” he also managed the Lotte Orions to the Japan Series championship in 1974. In 1988, Kaneda was inducted into the Japan Baseball Hall of Fame.

All-Japan 6, Dodgers 1

All-Japan 6, Dodgers 1

Dodgers 0 0 0 1 0 0 0 0 0 1 5 0
All-Japan 4 0 0 0 2 0 0 0 x 6 8 1

WP — Masayoshi Miura. LP — Don Newcombe. HR: Yasumitsu Toyoda, Futoshi Nakanishi.

Dodger Record 1-2.

GAME NOTES: A crowd of 45,000 fans at Tokyo’s Korakuen Stadium watched the All-Japan team (stars from the Pacific and Central Leagues) jump out to a 4-0 lead in the first inning off Don Newcombe, Dodger ace pitcher and 27-game winner, who was chased after only 17 pitches. A two-run home run by Yasumitsu Toyoda of the Nishitetsu Lions, who was the 1956 Japan Series MVP, in that frame gave the All-Japan stars all the runs they would need. Ed Roebuck replaced Newcombe in the first inning and he later surrendered a fifth-inning two-run home run by Futoshi Nakanishi of the Nishitetsu Lions. Nakanishi led the Pacific League with 29 home runs and 95 RBI and a .324 batting average, just one-half percentage point from being the triple crown winner. Nakanishi led the Pacific League in home runs for the fourth straight season. Roy Campanella went 2-for-4, including an RBI double in the fourth inning to score Gil Hodges, who had walked, for the only Dodger run. In a special home run contest before the game, the Dodgers’ Duke Snider, Hodges and Roy Campanella beat All-Japan’s stars, Nakanishi, Kazuhiro Yamanouchi and Andy Miyamoto, 19-15, as Hodges led the way with 8. It was the second win for a Japanese team over the Dodgers in three games on the tour and the fifth victory by a Japanese team over a visiting U.S. Major League club in Japan’s history.

Brooks Nip Giants 1-0 on Snider's Home Run

Dodgers 1, Yomiuri 0

Dodgers 0 0 0 0 0 0 0 0 1 1 8 0
Yomiuri 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 3 1

Dodger Record 2-2.

GAME NOTES: Duke Snider homered into the right-center field seats at Sapporo’s Maruyama Stadium in the ninth inning to lift the Dodgers to a 1-0 victory over the Yomiuri Giants. Snider collected three of the Dodgers’ eight hits. Dodger right-handed pitcher Carl Erskine had a masterful performance, limiting the Giants to just three hits, while striking out seven and did not allow a runner to reach second base. Central League MVP Takehiko Bessho, who came in to replace starter Sho Horiuchi in the seventh inning, suffered the loss as he served up Snider’s homer. The game was played before 30,000 fans in only one hour, 36 minutes. Toshibumi Tanaka, Governor of Hokkaido, made the ceremonial first pitch. That ball arrived via helicopter onto the field prior to the ceremony.

Dodgers Slip Into Form; Whip All Kanto 8 To 0

Dodgers 8, All-Kanto 0

Dodgers 0 0 4 0 0 1 3 0 0 8 11 1
All-Kanto 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 5 2

Dodger Record 3-2.

GAME NOTES: The Dodgers continued their fine pitching with back-to-back shutouts, this time at the expense of the All-Kanto team. The Dodgers scored four runs in the third inning to make a winner of starter Fred Kipp, who pitched the first seven innings. Ralph Branca finished up the last two innings for the Dodgers, who moved above the .500 mark for the first time on the trip. In the third, the Dodgers scored on Duke Snider’s RBI single, a bases-loaded walk by Roy Campanella and a two-run single by Don Demeter. Jim Gilliam, Gino Cimoli and Demeter each had two hits in the Dodgers’ 11-hit attack.

A crowd of 30,000 watched the game in Miyagi Stadium in Sendai. The Dodgers were scheduled for an off-day on October 25, before returning to action in Mito against All-Kanto once again.

All-Kanto Nine Hold Dodgers To 3-3 Tie

Dodgers 3, All-Kanto 3, tied — called because of darkness

Dodgers 0 0 0 2 0 1 0 0 0 3 7 1
All-Kanto 0 0 0 0 0 0 0 3 0 3 6 1

HR: Duke Snider

Dodger Record 3-2-1.

GAME NOTES: In a game called by darkness after nine full innings, the Dodgers and All-Kanto tied. The teams also had to keep a schedule to catch a train bound for Kofu for the next day’s game. The Dodgers jumped out to a 2-0 lead in the fourth inning as Pee Wee Reese doubled and Duke Snider belted a home run. The Dodgers added a run in the sixth, but were unable to maintain the 3-0 lead in the bottom of the eighth. That’s when Dodger starter Don Drysdale gave up a ringing double by Yasumitsu Toyoda to score Akira Iwamoto and Andy Miyamoto. Those were the first Japanese runs in 29 innings off the Dodgers. Don Bessent relieved Drysdale and promptly was greeted by Kihachi Enomoto’s single to score Toyoda. Jim Gentile drove in the Dodgers’ third run and had two of their seven hits. Drysdale struck out four and walked five.

Dodgers Crush All-Kanto 1-2 In 16-Hit Assault

Dodgers 12, All-Kanto 1

Dodgers 0 2 5 0 0 0 2 0 3 12 16 2
All-Kanto 0 0 0 0 0 0 1 0 0 1 3 1

WP — Roger Craig. LP — Masahiko Oishi. HR: Jim Gentile 2, Don Demeter, Gino Cimoli.

Dodger Record 4-2-1.

GAME NOTES: The Dodgers busted out of their batting slump with a 16-hit barrage and routed the All-Kanto team at Kofu’s Prefectural Stadium before a capacity of 20,000 fans, 12-1. First baseman Jim Gentile led the Dodger hit parade with two home runs and five RBI. Outfielders Don Demeter and Gino Cimoli each belted home runs. Jackie Robinson had a double off Kanto starter Masahiko Oishi. Dodger starter Roger Craig struck out four and was the winning pitcher in his first start in Japan. Ed Roebuck and Fred Kipp came on in relief to shut the door on All-Kanto.

Dodgers Whip All-Japan 6-3

Dodgers 6, All-Japan 3

Dodgers 3 0 1 0 0 0 0 0 2 6 15 0
All-Japan 1 0 0 2 0 0 0 0 0 3 7 0

WP — Clem Labine. LP — Yukio Shimabara. HR: Duke Snider, Jim Gentile.

Dodger Record 5-2-1.

GAME NOTES: The hot Dodger batters collected 15 hits, including a perfect 5-for-5 game by first baseman Jim Gentile, to defeat All-Japan stars, 6-3. Pitcher Clem Labine went the distance for the Dodgers, scattering seven hits to All-Japan. The offensive support included home runs by Duke Snider and Gentile. In the first inning, the Dodgers scored three times on hits by Jackie Robinson and Roy Campanella and Snider’s home run. Gentile homered in the third to give the Dodgers a 4-1 advantage. All-Japan used four pitchers to try to shut down the Dodgers, including Yukio Shimabara and Kazuhisa Inao, both of the Nishitetsu Lions; Mitsuo Osaki of the Hanshin Tigers; and Katamasa Miura of the Daiei Stars.

Dodgers Game Rained Out

Rained Out

Dodgers Blank All-Japan 4-0; Lefty Kipp Hurls Two-Hit Ball

Dodgers 4, All-Japan 0

Dodgers 1 0 0 0 1 1 0 0 1 4 8 1
All-Japan 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 2 1

WP — Fred Kipp. LP — Takao Kajimoto. HR: Don Demeter, Jim Gentile.

Dodger Record 6-2-1.

GAME NOTES: Dodger left-hander Fred Kipp’s two-hitter blanked the All-Japan stars at Shimonoseki Stadium, 4-0. Jim Gentile continued his torrid hitting with a 3-for-4 performance and his fourth home run of the tour. Don Demeter hit his second tour homer in the fifth inning off Noboru Akiyama, while Gentile notched his sixth-inning right field blast off Kazuhisa Inao. In the first inning, the Dodgers literally knocked Japan’s starting pitcher off the mound when a two-out line drive off the bat of Cino Cimoli hit southpaw Takao Kajimoto of the Hankyu Braves in the shoulder. Cimoli wound up with a triple and scored on Jackie Robinson’s single to right off relief pitcher Akiyama of the Taiyo Whales. Gil Hodges had two hits, including a RBI single in the ninth inning sending home Gentile, who had doubled, to complete the scoring. Kipp, who used a knuckleball, struck out seven and walked three in his best performance to date, giving the Dodgers three shutouts on the Japan tour.

Dodgers Triumph in Hiroshima, 10-6

Dodgers 10, Kansai All Stars 6

Dodgers 0 0 0 1 0 3 4 0 2 10 12 2
Kansai 1 0 0 3 0 0 0 0 2 6 8 2

WP — Ed Roebuck. LP — Mitsuo Osaki. HR: Duke Snider, Roy Campanella, Jim Gentile, Isami Okamoto, Asateru Kono.

Dodger Record 7-2-1.

GAME NOTES: An emotionally-charged afternoon preceded the Dodgers’ 10-6 victory in Hiroshima Stadium. Prior to the game, Dodger executives and players participated in ceremonies to dedicate to the city a bronze plaque at the entrance of the ballpark. Inscribed on the plaque were the words, “We dedicate this visit in memory of those baseball fans and others who here died by atomic action on Aug. 6, 1945. May their souls rest in peace and with God’s help and man’s resolution peace will prevail forever, amen.” The plaque bore the names of Dodger President Walter O’Malley, Dodger Manager Walter Alston, Dodger team captain Pee Wee Reese and other club officials. In the game, three Dodgers homered, including Duke Snider, Jim Gentile and Roy Campanella, whose sixth inning blow was a three-run shot to even the score at 4-4. The Dodgers broke the game open with a four-run seventh inning. Kansai’s Yukio Shimbara walked Reese, Snider and Campanella and the trio pulled off an improbable triple steal, with Reese scoring to give the Dodgers the 5-4 lead. Gentile’s homer followed and the Dodgers were on their way, although Ed Roebuck gave up a monstrous ninth inning home run to Asateru Kono of the Hankyu Braves to the centerfield backscreen. Kansai took a 1-0 lead in the first inning off Don Drysdale, but Snider’s home run to right field evened the score in the fourth. Kansai went ahead 4-1 in the last of the fourth on a three-run home run by Isami Okamoto off Drysdale. In the third inning, Jackie Robinson was the first Dodger ejected by an umpire on the Japan tour. Robinson protested a call by 16-year National League umpire Jocko Conlan in the third inning and was tossed by the umpire who stated that Robinson said he was “out of position” and “hollered too much.” Robinson was replaced by Reese at second base for the duration of the game. Robinson, who walked to first base to talk with Conlan after the Japanese batter was called safe on a ground ball, explained his actions, “Everybody knew Jocko missed the play because he was in back of the plate and couldn’t see clearly, but when I told him, he got angry.”Associated Press story, Asahi Evening News, November 5, 1956

Bums Sink Japanee Team 14-0; Clout Four Homers In One Inning

Dodgers 14, Giants-Hawks All Stars 0

Dodgers 1 5 1 0 0 3 2 2 0 14 18 0
Giants-Hawks 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 9 3

WP — Roger Craig. LP — Sho Horiuchi. HR: Jim Gentile 2, Gil Hodges, Pee Wee Reese, Duke Snider, Jim Gilliam, Randy Jackson, Don Demeter.

Dodger Record 8-2-1.

GAME NOTES: The Dodgers’ fourth shutout of the tour was a memorable one, as they pounded out eight home runs en route to a 14-0 victory over the combined Yomiuri Giants and Osaka Hawks stars before a packed house of 40,000 fans at Namba Stadium in Osaka. In the second inning alone, the Dodgers blasted four home runs, including ones by Jim Gentile, Gil Hodges, Pee Wee Reese and Duke Snider. The first three homers came off starter Sho Horiuchi, while Snider’s roundtripper was off Tokumi Nomo. Gentile hit his second of the game and seventh of the Japan tour in the eighth inning. Jim Gilliam, Randy Jackson and Don Demeter all went deep for the Dodgers, as well. The beneficiary was starter Roger Craig, who picked up the win with some relief help by Ralph Branca. Dodger pitcher and fine hitter Don Newcombe made an appearance as a pinch-hitter in the seventh inning. But, he grounded out to second base, after kidding with the umpire that he was upset over a close pitch. In 1955, Newcombe had set a National League single-season record for most home runs by a pitcher with seven.

Dodgers Unleash 14-Hit Assault To Swamp All-Japan Squad 14-7

Dodgers 14, All-Japan 7

Dodgers 2 1 0 2 0 1 1 7 0 14 14 1
All-Japan 2 0 0 0 2 0 3 0 0 7 10 1

WP — Clem Labine. LP — Mitsuo Osaki. HR: Jim Gilliam, Don Demeter, Gil Hodges, Herb Olson, Kohei Sugiyama.

Dodger Record 9-2-1.

GAME NOTES: Power production continued for the Dodgers as they racked up 14 runs and 14 hits, including 4 home runs. In a wild game at Koshien Stadium near Osaka, the Dodgers built a 7-3 lead only to see All-Japan bounce back to tie the score at 7-7 after seven innings. The game almost did not make it past the sixth inning, when longtime National League umpire Jocko Conlan tried to halt the game because of darkness and a light drizzle. But the nearly 40,000 fans in attendance would have none of it, chanting “Yaro!” (Play ball!). After a 20-minute delay as Japanese and Dodger officials discussed the situation, the game was resumed as to not disappoint the fans who had come from near and far to watch the exhibition. According to an AP story, “Koshien Stadium, Japan’s largest is never used at night after Sept. 30 and the price of getting the electricity restored would be prohibitive. They would have to pay a full month’s power bill for a few minutes’ use.”Associated Press, Pacific Stars & Stripes, November, 1956 The Dodgers put the game away with a seven-run outburst in the eighth inning on three singles, two walks and a three-run home run by catcher Herb Olson, was on the tour roster, but never would appear in a regular season game for the Dodgers. Second baseman Jim Gilliam went 3-for-5 with a home run and 3 RBI, while Don Demeter was 2-for-5 with a home run and Gil Hodges was 2-for-2 with a homer. Clem Labine picked up the victory in relief of Don Bessent and Ed Roebuck.

All-Japan Team Tops Dodgers 3-2; Kawakami Drives In Winning Run

All-Japan 3, Dodgers 2

Dodgers 0 1 0 0 0 0 0 0 1 2 5 0
All-Japan 0 0 0 0 1 1 0 0 1 3 11 2

WP — Shoichi Kaneda. LP — Clem Labine. HR: Don Demeter, Duke Snider.

Dodger Record 9-3-1.

GAME NOTES: All-Japan snapped the Dodgers’ six-game winning streak with a 3-2 victory at Nishinomiya Stadium. An overflow crowd of 45,000 was on its feet as the All-Japan stars scored a ninth-inning run to win. Masao Morishita of the Nankai Hawks doubled to start the rally in the ninth, followed by a Ken Yamashita single, sending Morishita to third. A walk to pinch-hitter Kenjiro Tamiya of the Hanshin Tigers loaded the bases. Yomiuri Giants first baseman Tetsuji Kawakami blooped a single to short center field out of Don Demeter’s reach for the game-winning single. It was Kawakami’s second hit and second RBI of the game. The Dodgers had tied the score in the top of the ninth on Duke Snider’s 400-foot home run to center field off reliever Shoichi Kaneda of the Kokutetsu Swallows. It was Snider’s sixth homer of the Japan tour. Demeter hit his fifth home run of the Japan tour in the second inning off Japanese starter Takehiko Bessho of the Yomiuri Giants to put the Dodgers on top 1-0. All-Japan collected 11 hits, including doubles by Kazuhiro Yamauchi and Morishita, combined off Dodger starter Fred Kipp and reliever Clem Labine.

Brooks Find Rain Waits Where Train Will Not

Rained Out

Gil's Double, Wild Pitch Give Dodgers 3-2 Win

Dodgers 3, All-Japan 2

Dodgers 0 0 0 3 0 0 0 0 0 3 7 2
All-Japan 2 0 0 0 0 0 0 0 0 2 5 1

WP — Roger Craig. LP — Hiroomi Oyane.

Dodger Record 10-3-1.

GAME NOTES: The Dodgers traveled to Nagoya where they edged the All-Japan stars, 3-2. Right-hander Roger Craig went the distance for the Dodgers, giving up five hits and striking out eight batters. All three Dodger runs scored in the fourth inning, as Duke Snider walked, Roy Campanella singled and Jim Gentile walked. Gil Hodges hit a double to drive in Snider and Campanella and Gentile scored on a wild pitch by All-Japan starter Hiroomo Oyane. Three of All-Japan’s five hits came in the first inning, but Craig settled down and got the side in order the rest of the way, with the lone exception of the sixth inning when Pee Wee Reese kicked a grounder for an error and Craig allowed a single before a double play ended Japan’s chances. Hodges was the star of the show as he wowed the crowd of 25,000 with a “clown act,” pantomiming the action on almost every play from his left field position, as rookie Gentile played first base. In his new act, Hodges made thousands of friends in Japan who read his sketch in the program to learn more about him. “Hodges, the mimic, pantomimed the action of the pitcher, the catcher and the umpire. When a Dodger made an error, Hodges glowered and pointed his finger. At various times, he made his legs quiver, shook his fist, stamped on the ground, swung his arms, frowned and smiled. This strange, new routine, never seen by Ebbets Field fans, started during the Dodgers’ first trip out of Tokyo during their 20 game exhibition series. Hodges has been doing his act in the smaller towns but played it straight during a three game series in Osaka, Japan’s No. 2 city. When he left the game in the eighth inning, Hodges was called back to take a bow amidst cheers. ‘You’d have thought Babe Ruth was leaving a game in the old days,’ said a Dodger official.”Associated Press story, Chicago Daily Tribune, November 8, 1956

Dodgers Downed By Japanese, 3-2

All-Japan 3, Dodgers 2

Dodgers 0 0 0 0 2 0 0 0 0 2 6 0
All-Japan 0 2 0 0 0 0 0 0 1 3 8 2

WP — Takoa Kajimoto. LP — Fred Kipp. HR: Satoru Sugiyama.

Dodger Record 10-4-1.

GAME NOTES: The All-Japan stars broke a 2-2 tie in the bottom of the ninth as pinch-hitter Kohei Sugiyama singled to right field with runners at first and second base to score the winning run off relief pitcher Don Bessent. Masao Morashita singled to center to start the inning and a late throw to second base by Dodger starter Fred Kipp on a bunt by Takashi Iwamoto set up the run-scoring play and delight the crowd of 20,000 fans. Manager Walter Alston summoned Bessent in to pitch and the Japanese countered with Sugiyama pinch-hitting for winning pitcher Takoa Kajimoto. Japan jumped out to a 2-0 lead in the second inning, but the Dodgers knotted the score in the fifth on a single by Herb Olson and an RBI double by Kipp, who later scored on an infield error. Satoru Sugiyama hit a two-run home run off Kipp in the second inning.

Dodgers Win in Eleventh by 5-4 As Tokyo Hurler Shakes Off Sign

Dodgers 5, Yomiuri 4, 11 innings

Dodgers 0 1 0 3 0 0 0 0 0 0 1 5 7 0
All-Japan 0 2 0 0 0 1 0 1 0 0 0 4 9 0

WP — Ed Roebuck. LP — Takehiko Bessho. HR: Jim Gentile, Herb Olson, Shigeru Fujio.

Dodger Record 11-4-1.

GAME NOTES: Takehiko Bessho decided not to follow the instructions of Yomiuri Giants Manager Shigeru Mizuhara and paid the price. With the game tied at 4-4 in the top of the 11th inning, the Dodgers got a lead-off single by Jim Gilliam and two outs later he was on second base with Jackie Robinson coming to the plate. That’s when Mizuhara ordered Bessho to intentionally walk Robinson. But, Bessho “shook off” the sign and his catcher Shigueru Fujio, who promptly ran to the mound and told the pitcher to follow the instructions of the manager. Fujio then ran to the Giants’ dugout to inform Mizuhara that the instructions had been delivered. Back on the mound, however, a defiant Bessho decided not to walk Robinson but to pitch to him. Robinson lashed a double to right-center field and Gilliam scored easily to put the Dodgers ahead 5-4. Bessho had entered the game in relief in the seventh inning and had not allowed a hit until Gilliam’s single in the 11th inning. Regarding Bessho’s decision, Mizuhara said, “He shouldn’t do such a thing. I instructed him to walk Robinson intentionally but he insisted on going with Robinson.”Associated Press story, New York Journal-American, November 9, 1956 Jim Gentile smashed his eighth home run of the Japan tour in the second inning to put the Dodgers on top 1-0. But, the Giants scored twice in that inning off Dodger starter Ralph Branca. The Dodgers got three more runs to go ahead 4-2 in the fourth inning. Herb Olson hit a two-run home run in that inning. Yomiuri scored single runs in the sixth and eighth to even the score. Ed Roebuck came in to pitch in the seventh for the Dodgers and earned the victory. Bessho had 310 lifetime wins pitching for the Nankai Hawks (1943, 1946-48) and the Giants (1949-57). He won the Sawamura Award (as Japan’s top pitcher) in 1947 and 1955 and was MVP in 1952 and 1956. He was inducted into the Japan Baseball Hall of Fame in 1979.

Hodges Homers Twice As Dodgers Win, 8-2

Dodgers 8, All-Japan 2

Dodgers 4 1 1 0 1 0 1 0 0 8 18 1
All-Japan 0 0 0 2 0 0 0 0 0 2 7 1

WP — Carl Erskine. LP — Hiroomi Oyane. HR: Gil Hodges 2, Don Zimmer.

Dodger Record 12-4-1.

GAME NOTES: First baseman Gil Hodges knocked two 400-foot home runs out of the park as the Dodgers amassed 18 hits in their 8-2 victory. Second baseman Don Zimmer also hit a home run in the seventh inning to complete the scoring. After the game, Zimmer returned to Cincinnati, Ohio to be with his father who was “critically ill.”Associated Press story, Chicago Daily Tribune, November 11, 1956 The Dodgers scored four runs in the first inning and took a 6-0 lead after three innings en route to their 12th victory of the Japan tour. Hodges hit his blasts in the first and third innings to jump-start the Dodger offense. The first of his home runs, a two-run shot to the upper left-field stands, came off Hiroomi Oyane of the Chunichi Dragons. His second homer and fifth of the Japan tour came at the expense of Masayoshi Miura. Jackie Robinson, who had doubled to left, rode home on that hit. Right-hander Carl Erskine started and picked up the victory for the Dodgers, with relief help from Don Bessent, who came in to pitch in the sixth inning. Japan’s Crown Prince Akihito and Princess Suga were part of the crowd of 35,000 in attendance at Tokyo’s Korakuen Stadium.

Four Homers Win For Dodgerse, 10-2

Dodgers 10, All-Japan 2

Dodgers 0 3 0 3 1 2 2 0 0 10 15 0
All-Japan 0 0 0 0 0 1 0 0 1 2 10 2

WP — Roger Craig. LP — Shoichi Kaneda. HR: Jackie Robinson, Gil Hodges, Roy Campanella, Pee Wee Reese.

Dodger Record 13-4-1.

GAME NOTES: Jackie Robinson, Gil Hodges, Roy Campanella and Pee Wee Reese each connected for home runs as the Dodgers rolled to a 10-2 win, their final appearance in Tokyo on the 1956 Goodwill Tour to Japan. Roger Craig was the beneficiary of the offensive onslaught as the Dodgers took a commanding 8-1 lead after six innings. Robinson, appearing in his next-to-last game as a Dodger, belted his final home run in a Dodger uniform and it was a memorable one — a 420-foot shot off Shoichi Kaneda in the second inning. Japan’s Takehito Bessho gave up home runs to Gil Hodges and Roy Campanella to nearly the exact same location in the left-field stands in the fourth inning. Reese’s homer was in the sixth inning with Jim Gilliam aboard. Following the game, the Dodgers flew to Kyushu to make up a rained out game in Fukuoka on November 13 to conclude their tour.

Brooks Beat Stars 3-1 In Final Game

Dodgers 3, All-Japan 1

Dodgers 0 0 0 1 0 0 0 0 2 3 9 1
All-Japan 0 0 0 1 0 0 0 0 0 1 6 1

WP — Fred Kipp. LP — Kazuhisa Inao.

Dodger Record 14-4-1.

GAME NOTES: The Dodgers finished their 1956 Goodwill Tour to Japan with a 3-1 victory in Fukuoka’s Heiwadai Stadium over All-Japan in a make-up contest due to a rained out game on October 30. The Dodgers completed the trip with a 14-4-1 overall record, playing in front of more than 450,000 fans, an average of 24,000 per game. Fred Kipp went the distance for the Dodgers, scattering six hits. Kazushisa Inao, a 19-year-old rookie, held the Dodgers to one run for eight innings, but had to be replaced in the ninth inning by Masayoshi Miura. Hits by Jackie Robinson and Don Demeter knocked in the two Dodger runs in the ninth. Inao was the Pacific League’s “Outstanding Rookie” in 1956, amassing a 21-6 record for the Nishitetsu Lions. The Dodgers scored twice to put the game away in the final inning.

POSTCRIPT: The 1956 Dodgers had played 218 games — 35 games in Spring Training, 154 regular season games, 7 World Series games against the New York Yankees, 3 games in Hawaii and 19 games in the Goodwill Tour to Japan.

  • After the Japan tour, several articles criticized the Dodgers for not giving their all in the games. However, team captain Pee Wee Reese stated in Honolulu, Hawaii on November 16 that the Japanese “should be given credit for playing a good brand of baseball instead of belittling the Dodgers for not putting out. Sure we would have played better but we are a tired bunch of fellows. We did our best at all times.”1
  • On November 23, 1956, WRCA AM 660 in New York aired a recorded version of the Dodgers and the Japan All-Stars. According to the New York Times, “The contest was one of the series in which the National League pennant winners dropped four to the Japanese, a fact that apparently evens the score for Madama Butterfly...The fans seem decorous and no epithet in any way related to ‘dem bums’ was audible. Vince Scully and Bill McCord helped make the sports program into a breezy and educational cultural affair by their descriptions and interviews.” In one-half inning, the game broadcast was narrated by a Japanese announcer to give local fans the full flavor of the international experience.
  • In their editorial about the Dodgers tour in Japan, the New York Times includes: “On several occasions an outspoken Japanese press declared that they (the Dodgers) were something less than overwhelmingly impressive. They were tired and showed it. Nevertheless, we feel that the trip was a tremendous success. The Dodgers played before half a million fans. They saw an improved lot of Japanese players. They promoted the game. Baseball can be an international language. A double play is just as good in Romanji as in English. Japan has been a good field for development of baseball interest. There are strong teams also in Canada and the Philippines. Some splendid players have come from Cuba, Venezuela and Puerto Rico. We look forward to the time when there will be a real ‘world’ series along the lines of Davis Cup play. Baseball has helped to break down some big barriers in this country. It may serve, internationally, to the same end.”
  • Dodger President Walter O’Malley invited catcher Shigero Fujio and pitcher Sho Horiuchi of the Yomiuri Giants for 1957 Spring Training at Dodgertown in Vero Beach, Florida. The players, along with Giants Manager Shigero Mizuhara and Japanese sportswriter Sotaro Suzuki, who organized the Dodger Goodwill Tour to Japan, were guests of the Dodgers from February 28-March 22, 1957. Upon their arrival, all Dodger players and officials welcomed the visitors. For their many successes and contributions to the sport, Mizuhara and Suzuki were inducted into the Japan Baseball Hall of Fame in 1977 and 1968, respectively. In 1961, the entire Giants team from Tokyo visited Dodgertown and made subsequent trips there at the invitation of O’Malley in 1967, 1971 and 1975. Dodger President Peter O’Malley, who coordinated all aspects of the Giants’ visit to Dodgertown in 1961, continued the tradition of hosting teams from Japan to train there, as the Giants returned to Dodgertown in 1981 and the Chunichi Dragons of Nagoya visited there in 1988.

1966年 日本 ツアー

マーク・ランギル著

最初の日本遠征より10年後、ドジャースは1966年度のシーズン終了後、、世界の野球シーンではお馴染みのスター・..加え新人選手も一緒・..もう一度親善ツアー・..出かけた。読売新聞社後援の同ツアーは、ドジャースのウォルター・オマレー社長とドジャースが日本の野球界の役員達との親交を新た・.. し、第二次世界大戦の敗戦以来20年以上たった今、開催国の進展を監視する機会であった。

遠征団・..は大リーグ野球コミッショナーのウィリアムD・エカートもおり、1956年・..ドジャースが同年のナショナルリーグの勝者及び前年度のワールドシリーズの勝者として東京の羽田空港・..到着した時と同じよう・..今回も到着した。ウォルター・アルストン監督はその時もドジャースの監督を務めており、その後1976年まで合計23年間監督を務めること・..なる。しかし、1966年度のドジャースは1956年度のドジャースとは一味違っていた。

有名なブルックリン・ドジャースの団体の中核は、キャリアの後期を迎えた有名なベテラン選手達であった。ショートとチームキャプテンのピーウィー・リース、内野手のジャッキー・ロビンソン、捕手のロイ・キャンパネラ、一塁手のギル・ホッジス等であった。1956年度の日本遠征はロビンソンがブルックリンのユニフォームを着る最後のチャンスであり、ドジャースの成績は14勝4敗1分けであった。

ロビンソンは同遠征後37歳で引退を発表し、キャンパネラはその後1年後の1958年・..ロサンゼルス・..移が決まった時・..無残な交通事故で野球選手生活・..ピリオドを打った。

投手陣の底の深さは西海岸でのドジャースのトレードマーク・..なり、フットボールと陸上競技場から改築されたロサンゼルス・コロシアムや、1962 年・..オープンして以降、大リーグの野球場の基準となった美しいドジャー球場で試合を行った。ドジャースは1959年、1963年、1965年・.. ワールドシリーズの勝者となり、アルストン監督はワールドシリーズのタイトルをナショナルリーグでは始めて4回手・..した監督となった。

サンフランシスコやピッツバーグとのすさまじいペナントレースを繰り広げて、1966年度のドジャースは9月・..劇的な快進撃を遂げ、残り31試合の内、 21試合・..勝ち、ワールドシリーズへの出場を決めた。ドジャースの投手陣の頑張りでペナントレースの勝者では最も多い17回の完封試合を成し遂げ、優勝へと快走した。ドジャースの防御率はナショナルリーグ23年間最低の2.75で、20試合の完封試合を含む80試合で相手チームの得点を2点以下・.. 抑えた。

「1966 年度のプロ野球ワールドシリーズのチャンピオンを日本・..連れて行くことを心より希望しています。ご存知の通り、我々はカリフォルニア州ロサンゼルスで 10月5日行われるボルチモア・オリオールズとのワールドシリーズ・..向けて準備中です。来日まで・..はワールドシリーズの結果が分かっているでしょう。」読売新聞社の雑誌の日本遠征記事でオマレーの日本のファンへの手紙が掲載された。

「しかし、チャンピオン・..なれるかどうか・..関わらず、日本遠征は我々・..とって1966年度のハイライトとなるでしょう。」

「日本での優勝おめでとうございます。また、野球が我々両国の代表者達が交流する場であり続ける事を祈ります。」

成り上がりのオリオールズは4試合・..合計13対2で連勝し、ドジャースが最終33イニング無得点というてロサンゼルス住民を驚かせた。親善ツアーをワールドシリーズ最終戦の日・..開始した1956年度のドジャースとは異なり、ロサンゼルス・ドジャースはボルチモア・..敗れた後日本出張・..備え数日間の休息日が与えられた。

しかし、同シーズンはドジャースの投手陣が冴えず、エースの開幕投手であるサンディー・クーファックスとドン・ドリスデールは1966年度・..は合わせて40勝と597イニングス出場したが、1966年度のワールドシリーズ後休息を取った。クーファックスは数週間後・..腕の故障を理由・..31歳で引退し、野球界をあっと言わせた。新人のドン・サットンも日本で投げる機会を得ることが出来なかった。将来野球殿堂入りすること・..なるサットンは初めてのシーズンで12勝12敗の成績を残したが、オルストンはレイバー・デイ・..前腕の筋肉を傷めて9月はサットンの当番数を減らした。

ドジャースが再来日した時まで・..は、アメリカ人選手が日本のプロ野球リーグ・..参加するよう・..なって来ており、それらのアメリカ人選手の中・.. は海外で選手活動を長引かせる元大リーガーもいた。例えば、元ドジャース内野手のダリル・スペンサーは、1966年度・..阪急ブレーブスで.273の打率を上げ、20本のホームランを打った。

「我々は親善を広めたいのですが、野球場では日本チーム・..勝ちたいと望んでいます。」オルストンは東京で行われた歓迎式典で述べた。「10年前・..来た時は、日本の球団はよく組織されていると思いました。今では更・..改善されたことでしょう。」Pacific Stars and Stripes, October 22, 1966

1966 年度の遠征のタイミングは、1960年代初期・..国際的議論を呼んだ左腕投手村上雅則の職業選択・..一致していた。村上は1964年・..サンフランシスコ・ジャイアンツとのマイナーリーグ契約を交わした三人の日本人選手の内の一人である。村上は1964年・..意外・..もシングルAチームのフレズノからジャイアンツ・..呼び戻され、翌年1965年・..好成績を上げた。それ・..よって、アメリカと日本の野球関係は未知の領域・..足を踏み入れた。母国からの政治的抑圧・..より、村上は残りの野球選手生命を日本で送ること・..した。それ以降30年経った1995年・..、ドジャースの野茂英雄は村上以来アメリカの大リーグチームでプレーをする初めての日本のプロ野球選手となった。

1960 年度の読売ジャイアンツでは、日本野球史上最も有名な二人の選手が活躍した。一塁手の王貞治と三塁手の長嶋茂雄である。王は1959-80年までの選手生活中・..868本のホームランを打った。長嶋は「ミスター・ジャイアンツ」というニックネームで呼ばれ、1958-74年の間・..444本のホームランを打った。ジャイアンツは、読売新聞社の創始者正力松太郎が設立した日本初のプロ野球球団であり、1961年と1963年・..日本のワールドシリーズ・..優勝し、1965-73年まで9年連続の王者となった。

ドジャースのベテラン遊撃手のモーリー・ウィリスは遠征中話題を振りまいた一人であったが、1962年・..104盗塁記録を達成した盗塁王は1966年・..健康維持・..失敗した。ウィリスは同シーズンの6月28日まで38回中30回の盗塁を果たしたが、夏季・..は 45試合でたった1回の盗塁・..成功しただけだった。初めてワールドシリーズ・..出場した時・..、ウィリスは一塁打を打ち二塁を盗塁した。しかし、ウィリスそれ以外のヒットが打てず、13回中1回の盗塁・..留まった(.077)。

ウィリスは日本での4試合・..出場しただけでアメリカ・..帰国した。ベテラン選手はウィリスは後・..オフシーズンのトレードでピッツバーグ・パイレーツ・..移籍し、長年ドジャースの選手だったトミー・デイビスもニューヨーク・メッツ・..移籍した。ドジャースは1969年・..再びウィリスを獲得し、ウィリスはロサンゼルスで選手生活・..別れを告げた。

ウィリスが日本遠征を早め・..切り上げたことで、ドジャースの先発選手のリストから更・..有名選手の名前が消えること・..なった。クーファックス、ドリスデール、サットン・..加え、一塁手のウェス・パーカーも日本・..は行かなかった。その為、大リーグでは3試合・..しか出場したことがなく2打席0 安打の記録を持つルーキーの20歳の一塁手のトミー・ハットン・..チャンスが回って来た。その他若手陣は、投手のアラン・フォスター、ニック・ウィルハイト、リオン・エベリット、外野手のアル・フェララ、内野手のトミー・ディーン、外野手のジム・バービエリである。

10 月21日、野球コミッショナーのエックハートは、正力・..リンドン・ジョンソン大統領からのメッセージとサインが刻まれた銅像刻版を贈った。正力・.. メッセージを渡した後、エックハートはワールドシリーズのチャンピオンシップリングも贈った。ワールドシリーズのチャンピオンリングがワールドシリーズ・..参加した球団・..関連のない人・..贈られたのは初めてのことだった。

「私は他の日本人関係者と共・..、野球を通じての日米間の親交と平和への献身の促進を継続して行きたいと思います。」正力は述べた。

エックハートとオマレーは、11月6日・..佐藤栄作首相・..挨拶の電話をした。佐藤首相官邸・..おける5分間の会合で、アメリカ選手達はウォルター・オマレーのサイン入りボールと1967年度シーズンのアメリカン・リーグとナショナル・リーグの全試合・..入場出来るバッジを贈った。

ドジャースの日本遠征での初戦はジャイアンツを相手・..16対5の勝利を得た。しかし、ドジャースはハードスケジュールをこなしたため、第二戦では左腕松田アキオ投手・..3安打・..抑えられ、5対0で負けた。

そのペースで日本遠征の成績は9勝8敗1分であった。王は5本のホームランを含む合計21本の安打を打ちジャイアンツをリードした。ドジャースのジム・レフバーは1966年度・..選手生活中最高記録の24本のホームランを打ったが、遠征中・..5本のホームランを打ち、打率も.388でロサンゼルスをリードした。

11月6日の東京後楽園球場での試合では、久しぶり・..野球観戦を楽しまれた天皇皇后のお姿もあった。

「ドジャースは他ではこれほど歓迎されないかも知れないが、日本での外交は大い・..成功した。神社、レストラン、球場、何処へ行っても、熱狂的な野球ファン・..歓迎された。ウォルター・オマレーから贈られた公式バッジは開門の呪文のようなものである。英語が読めない人でもドジャースという文字は即座・..理解出来る。二番目の音節・..アクセントを置いた。「ドージャース」という言葉は、東京、札幌、大阪、仙台、名古屋、ドジャースが訪れたその他の都市で最も人気の高い言葉の一つとなった。」ロサンゼルス・タイムスのスポーツ欄記者フランク・フィンチは伝えた。」Los Angeles Times, November 1966

選手達が多くの観客を楽しませている間、他の選手達は観光を楽しんだ。3週間・..亘り地方を訪問し、1964年東京オリンピック施設から中善寺湖近くの330フィートの華厳の滝を見学した。

監督の妻であるリーラ・オルストンはオハイオの小さな町の出身で、1956年度の日本遠征・..も参加した。「少しだけ見学しただけでも、前回と比べ東京はすごく変化したようです。」と述べた。

遠征最後の週であった11月15日・..、日本政府はオマレーのプロ野球を通して日米間の親交を深める努力・..対し、名誉のあるリボン付き瑞宝章を捧げた。

エックハートコミッショナーは日本の野球コミッショナーと二リーグの社長との話し合いで、将来の来日・..合意した。次回の球団訪問は1968年・..予定され、その後2年毎・..毎日新聞と読売新聞が交代で同訪問を主催すること・..なった。読売ジャイアンツは1967年度の春季トレーニングを訪問し、フロリダのトレーニング施設への4回の訪問中二回目である。

銀座のレストランで行われた送別すきやきパーティで、読売新聞社の小林ヨソジ副社長はドジャース・..対し、何十万人もの日本のファン・..「素晴らしい」野球を観戦するチャンスを与えたこと・..対する感謝の意を述べた。小林はアメリカ人参加者一人一人・..ドジャースの日本遠征のアルバムを贈呈した。

オルストンは競争レベルを賞賛し、ジャイアンツはドジャースのトリプルA球団よりレベルが高く、投手陣を増強すること・..より、読売球団は大リーグで通用出来るよう・..なると述べた。

ジャイアンツの川上哲治監督は、彼のチームがドジャース遠征中・..期待以上の勝利を得たこと・..満足したが、ドジャースが新しい選手達を加えてワールドシリーズの時の先発選手陣とは異なっていたことも理解した。

「ハードスケジュールとサンディー・クーファックスやドン・ドリスデール等のエース投手が欠けていた為、我々は期待以上の成績を残すことが出来ました。この結果はドジャースの真の力を反映するものだとは思っていませんが、日本の野球の水準があらゆる面で向上したことは大変喜ばしいことです。」The Mainichi Daily News, November 17, 1966

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  • The Dodgers traveled to Havana, Cuba for their spring training camp in 1947.The Dodgers traveled to Havana, Cuba for their spring training camp in 1947.
  • The Tokyo Yomiuri Giants made their first team appearance at Dodgertown in Vero Beach in 1961. They made subsequent visits in 1967, 1971 and 1975. In 1967, National League President Warren Giles, Walter O’Malley and Dodger interpreter and goodwill ambassador Ike Ikuhara greet some uniformed Giants players for training at Dodgertown.The Tokyo Yomiuri Giants made their first team appearance at Dodgertown in Vero Beach in 1961. They made subsequent visits in 1967, 1971 and 1975. In 1967, National League President Warren Giles, Walter O’Malley and Dodger interpreter and goodwill ambassador Ike Ikuhara greet some uniformed Giants players for training at Dodgertown.
  • Walter O’Malley and King Faisal II of Iraq watch the Dodger game on Aug. 13, 1952 at Ebbets Field. It was the first baseball game that the young King had seen in person.Walter O’Malley and King Faisal II of Iraq watch the Dodger game on Aug. 13, 1952 at Ebbets Field. It was the first baseball game that the young King had seen in person.
  • Sportswriter Sotaro Suzuki and Walter O’Malley visit with youngsters during the 1956 Dodger goodwill tour to Japan.Sportswriter Sotaro Suzuki and Walter O’Malley visit with youngsters during the 1956 Dodger goodwill tour to Japan.
  • Sotaro Suzuki is greeted upon arrival in Vero Beach in 1957 by Walter O’Malley, Terry O’Malley and Dodger team photographer Herb Scharfman.Sotaro Suzuki is greeted upon arrival in Vero Beach in 1957 by Walter O’Malley, Terry O’Malley and Dodger team photographer Herb Scharfman.
  • Sotaro Suzuki, Walter O’Malley and Japanese all-time home run leader Sadaharu Oh of the Yomiuri Giants.Sotaro Suzuki, Walter O’Malley and Japanese all-time home run leader Sadaharu Oh of the Yomiuri Giants.Courtesy of University of Southern California, on behalf of the USC Specialized Libraries and Archival Collections
  • A tour poster features Brooklyn Dodger All-Stars Roy Campanella, Duke Snider and Don Newcombe.A tour poster features Brooklyn Dodger All-Stars Roy Campanella, Duke Snider and Don Newcombe.
  • The Yomiuri Shimbun sponsored the Dodgers’ 1956 Japan tour.The Yomiuri Shimbun sponsored the Dodgers’ 1956 Japan tour.
  • The Brooklyn Dodgers, along with other major league officials, depart New York City on the first leg of their trip to Japan.The Brooklyn Dodgers, along with other major league officials, depart New York City on the first leg of their trip to Japan.
  • A dinner menu from the Dodgers’ Pan American World Airways flight from Honolulu to Tokyo.A dinner menu from the Dodgers’ Pan American World Airways flight from Honolulu to Tokyo.
  • Yomiuri Shimbun Publisher Matsutaro Shoriki throws out the ceremonial first pitch on the Dodgers’ 1956 Japan goodwill tour to Dodger catcher Roy Campanella. Also on the mound are (l-r) Japanese sportswriter Sotaro Suzuki, National League President Warren Giles and Walter O’Malley.Yomiuri Shimbun Publisher Matsutaro Shoriki throws out the ceremonial first pitch on the Dodgers’ 1956 Japan goodwill tour to Dodger catcher Roy Campanella. Also on the mound are (l-r) Japanese sportswriter Sotaro Suzuki, National League President Warren Giles and Walter O’Malley.
  • Walter O’Malley greets Don Newcombe, the 1956 National League MVP and Cy Young Award winner.Walter O’Malley greets Don Newcombe, the 1956 National League MVP and Cy Young Award winner.
  • Clem Labine (l-r), Don Zimmer and Gil Hodges take a break at Waikiki beach.Clem Labine (l-r), Don Zimmer and Gil Hodges take a break at Waikiki beach.
  • Jackie Robinson received a flower lei during an exhibition game in Hawaii.Jackie Robinson received a flower lei during an exhibition game in Hawaii.
  • The Brooklyn Dodgers line up during pregame introductions in Japan.The Brooklyn Dodgers line up during pregame introductions in Japan.
  • After a six-hour delay due to mechanical problems with their airplane, the Dodgers finally arrive in Japan.After a six-hour delay due to mechanical problems with their airplane, the Dodgers finally arrive in Japan.
  • Kay O’Malley rides along the “Welcome Dodgers” motorcade in Japan.Kay O’Malley rides along the “Welcome Dodgers” motorcade in Japan.
  • The Dodgers received warm welcomes from fans in the cities and along the countrysides in Japan.The Dodgers received warm welcomes from fans in the cities and along the countrysides in Japan.
  • The Dodgers began their tour with a 3-2-1 record in their first six games.The Dodgers began their tour with a 3-2-1 record in their first six games.
  • Pitcher Don Newcombe signs autographs prior to a game.Pitcher Don Newcombe signs autographs prior to a game.
  • Other popular autograph targets included Roy Campanella, Jackie Robinson and Duke Snider.Other popular autograph targets included Roy Campanella, Jackie Robinson and Duke Snider.
  • Shortstop Pee Wee Reese and first baseman Gil Hodges visit the opposing dugout and cultivate relationships before a game.Shortstop Pee Wee Reese and first baseman Gil Hodges visit the opposing dugout and cultivate relationships before a game.
  • Known for his daring baserunning in the majors, Jackie Robinson slides into home.Known for his daring baserunning in the majors, Jackie Robinson slides into home.
  • The Dodgers visit a memorial and dedicate a plaque at the entrance to the new ballpark in Hiroshima.The Dodgers visit a memorial and dedicate a plaque at the entrance to the new ballpark in Hiroshima.
  • Japanese sportswriter Sotaro Suzuki, Hall of Fame umpire Jocko Conlan and Walter O’Malley.Japanese sportswriter Sotaro Suzuki, Hall of Fame umpire Jocko Conlan and Walter O’Malley.
  • The Brooklyn Dodgers drew overflow crowds throughout their 1956 Japan tour.The Brooklyn Dodgers drew overflow crowds throughout their 1956 Japan tour.
  • Shortstop Pee Wee Reese is the cover subject of the Dodgers’ exhibition program at Hiroshima Stadium.Shortstop Pee Wee Reese is the cover subject of the Dodgers’ exhibition program at Hiroshima Stadium.
  • The Tokyo Giants made their first team appearance at the Dodgers’ Vero Beach spring training camp in 1961.The Tokyo Giants made their first team appearance at the Dodgers’ Vero Beach spring training camp in 1961.
                                                • A luggage tag from the Dodgers’ 1966 Japanese goodwill tour.A luggage tag from the Dodgers’ 1966 Japanese goodwill tour.
                                                • The 1966 tour program cover featured stars Don Drysdale, Maury Wills, Sadaharu Oh and Shigeo Nagashima.The 1966 tour program cover featured stars Don Drysdale, Maury Wills, Sadaharu Oh and Shigeo Nagashima.
                                                • The 1966 itinerary, sponsored by the Yomiuri Shimbun, was filled with many cultural and sightseeing opportunities for wives and other members of the Dodgers’ traveling party.The 1966 itinerary, sponsored by the Yomiuri Shimbun, was filled with many cultural and sightseeing opportunities for wives and other members of the Dodgers’ traveling party.
                                                • The National League Champion Dodgers received a warm welcome at the airport in Tokyo following their arrival in Japan, 10 years after their first visit.The National League Champion Dodgers received a warm welcome at the airport in Tokyo following their arrival in Japan, 10 years after their first visit.
                                                • The Dodger players and officials wear hoppi coats at a reception welcoming their arrival in Japan. Walter O’Malley shakes hands with Mr. Matsutaro Shoriki, Publisher of the sponsor Yomiuri Shimbun.The Dodger players and officials wear hoppi coats at a reception welcoming their arrival in Japan. Walter O’Malley shakes hands with Mr. Matsutaro Shoriki, Publisher of the sponsor Yomiuri Shimbun.
                                                • Tokyo Giants’ star Sadaharu Oh enjoyed success at the plate against Dodger pitching. The future international home run champion rapped 21 hits, including five round-trippers.Tokyo Giants’ star Sadaharu Oh enjoyed success at the plate against Dodger pitching. The future international home run champion rapped 21 hits, including five round-trippers.
                                                • A poster for the Dodgers’ November 9 exhibition game in Hiroshima at Citizen’s Stadium.A poster for the Dodgers’ November 9 exhibition game in Hiroshima at Citizen’s Stadium.
                                                • A poster for the Dodgers’ November 13 exhibition game in Kita-Kyushu at Kokura Stadium.A poster for the Dodgers’ November 13 exhibition game in Kita-Kyushu at Kokura Stadium.
                                                • Kay O’Malley and Japanese sportswriter Sotaro Suzuki.Kay O’Malley and Japanese sportswriter Sotaro Suzuki.
                                                • The Emperor and Empress arrive at Tokyo’s Korakuen Stadium for the November 6 exhibition.The Emperor and Empress arrive at Tokyo’s Korakuen Stadium for the November 6 exhibition.
                                                • The Emperor and Empress acknowledge the fans during their first trip to a ballgame in many years.The Emperor and Empress acknowledge the fans during their first trip to a ballgame in many years.
                                                • Walter O’Malley receives the Order of the Sacred Treasure Gold Rays With Neck Ribbon, the high honor for a non-Japanese. O’Malley received the award on November 15 at the Prime Minister’s Office as he was decorated by Kiyosi Mori, director general for Prime Minister Eisaku Sato, in recognition of fostering United States-Japan friendship through professional baseball.Walter O’Malley receives the Order of the Sacred Treasure Gold Rays With Neck Ribbon, the high honor for a non-Japanese. O’Malley received the award on November 15 at the Prime Minister’s Office as he was decorated by Kiyosi Mori, director general for Prime Minister Eisaku Sato, in recognition of fostering United States-Japan friendship through professional baseball.
                                                • Throughout the tour, the theme at ballparks and other appearances by the Dodgers was international friendship and goodwill.Throughout the tour, the theme at ballparks and other appearances by the Dodgers was international friendship and goodwill.